太郎さんの根

岡本太郎のことは、ずっと好きだった。
岡本太郎といえば画家という認識が一般的だと思うけど、絵画はもちろん、言葉や写真がすばらしいんですよね。だから太郎さんの出してる写真にまつわる本は多分ほとんど読んでる。そんな感じだった。
で、ある日、ひょんなことから、太郎さんの母・岡本かの子の随筆を読む機会があった。以前、小説「老妓抄」は読んだことはあったけれど、随筆を読んだのは初めてでした。
最近、私は日本の女流作家の随筆を読むことに夢中になっていて、水村美苗、有吉佐和子、石牟礼道子と読み進めるうちに、自然と岡本かの子の随筆集にたどり着いたのです。
読み進めるうちに、これは少し様子がちがうぞ、と思い始めました。
なにしろ文章が鋭い。怖いほど的確で、やわらかくない。なのに、なぜかすごく自由なのだ。これはほんとに「女性が押さえつけられてたと言われていた時代」に書かれたものなのか。
何かを斬りつけるような文章でありながら、それが“生”を讃えているようにも思えた。
あぁ、あの岡本太郎という、あの破裂するようで溢れ続ける、無尽蔵なエネルギーの塊ともいえる人間の根は、ここにあったのかもしれない。
岡本太郎という現象は、突然変異でもなんでもなく、すでに母かの子の胎内で思想がこだましていたのではないかと、そんなふうに想像してしまった。
あの人のあの感じ、爆発、炎、叫び、闘い、ぜんぶ。
まだ太郎がお腹にいた頃、母かの子が静かに手記を書いていた時に、予兆のようにお腹に響いていたような気がする。
で、かの子は、随筆になると文章もユーモラスで、なのに深くて、時折信じられないくらい鋭利。そうとうな切れ味。
この母にして、あの息子あり、という感じなのです。
私などは、文章を書こうとすると、ついついアホの癖が出てしまって「まじめ」を前に出してしまうのだけど、かの子の文章にはそういうのがない。
情熱と知性が混ざっているのに、ちっとも鼻につかない。
これはもちろん、相当な才能であって、太郎が世間にあれほど「芸術とは爆発だ!」と叫べたのも、実は母の“沈黙の爆発”の上に立っていたのではないかと思ったりする。
ほんとに頭がいいんだろうし、芸術にまっすぐだったんだろうと思う。
でも、読んでいて、こそばゆくなることもある。
だって”お母さん”なんですよ。
そのお母さんが、息子の精神的な戦友でもあるという関係性は、
私にはちょっと想像しがたい。
ふたりのあいだには、たぶん“血縁”とは別の“盟約”があった。
それは、私たちが想像するような「親子」の輪郭とは、少し違うものの気がする。
まるで、芸術という火に向かって、家族ごと飛び込んでいくような。
最後に、随筆集に掲載されていた、かの子から太郎に宛てた手紙の一節を紹介したい。
私たちの一家は、親子三人芸術に関係している。都合のいいこともあれば都合の悪いこともある。しかし今更このことを喜憂しても始まらない。本能的なものが運命をそう招いたと思うより仕方がない。だが、すでにこの道に入った以上、左顧右眄(右往左往)すべきではない。
だが、胸ずるところに刻々の発見がある。芸術の道は、入るほど深く、また、ますます難かしい。親も子もやるとてはじめて芸術は人類に必要で、自他共に恵沢を与えられる仁術となる。一時の人気や枝葉の美に戸惑ってはならない。いっそやるなら、ここまで踏み入ることです。おまえは、うちの家族のことを芸術の挺身隊(身を挺して芸術に尽くす存在)と言ったが、今こそ首肯する。(『巴里のむす子へ/岡本かの子』より引用)
こんなやりとりが母子の間で交わされていたんだと思うと、思わず胸が熱くなる。
やはり、かの子の芸術への覚悟が、太郎という現象を生んだのだと思う。


